
茂木:菊池さんは、日本のメンズファッション界を牽引してきた方でもあるし、80年代のDCブランドブームの火付け役でもありますが、そのときに流行したMEN’S BIGIは、菊池さんがデザインされたブランドですよね。
菊池:はい。1971年にレディス中心のBIGIを始めて、75年にメンズファッションに特化したMEN’S BIGIを設立しました。84年にBIGIからワールドに移って、TAKEO KIKUCHIの名前で、ブランドを立ち上げました。
茂木:TAKEO KIKUCHIもDCブランドブームの中心的存在でしたね。DCブランドブームの頃の日本って、すごく元気でしたよね。あの元気さって何だったんですかね。
菊池:当時の一般的な生活というのは、高層ビルもなければ、車もたくさん走っているわけでもない。洋服も限られていて、多くの人がおしゃれを楽しむようにはなっていなかった。ですから、自分たちがやれることがいくらでもあったんです。やれることがあると、人間って燃えますよね。
茂木:DCブランドブームの頃、僕自身は大学生で服装には無頓着だったのですが、たくさんのブランドが一気に出てきたときの世間が沸いている感じは鮮明に覚えています。
菊池:すごかったですね。服をデザインするという個人でやっていた仕事の範囲が、あっという間に公になりましたから。ブームというよりは社会現象になってましたね。その頃は洋服だけじゃなくて、世の中全体にビートルズとかローリング・ストーンズとか新しいものがどんどん入ってきた記憶がありますね。今は、あまりにも情報が世界中に氾濫してて、自分たちの領域を探すのって大変ですよね。若い人は苦労していると思いますよ。

茂木:菊池さんとお話していると、すごく不思議なのですが、今の20歳くらいの学生としゃべっているよりも、よっぽど元気だし、疾走している感じがするんです。
菊池:(笑)。やりたいことがまだ、たくさん残っているという感じがいつもあるんですよ。
茂木:完成してない感覚ですか。
菊池:マラソンだったら、完走した感じが全くないんです。
茂木:でも、世間からみると、菊池さんは色々なことを達成されてきて、普通に考えたら引退して、悠々自適な暮らしをしてもいいのではないかと思うかもしれないけど、ご本人としては全くそういう意識はない、ということでしょうか。
菊池:ないです。それと、そういう計画で生きてこなかった。負けず嫌いで、欲張りだから、自分が思っていることができないという欲求不満みたいなものがあって、それを達成したいと思ってるうちに年を取ってしまったという感じですね。
茂木:今、日本の国として問題だと思っているのは、生き方として疾走したくない人が増えているんじゃないかということだと思うんですね。
菊池:多いですね。安定志向というか。自分の人生はこうだって決めてしまっているから、走る理由が自分の中にないのかもしれません。この間、ソウルと上海に行ってきたんですが、内面からふつふつと沸き上がるエネルギーを感じました。日本人が忘れていることを全部持っている気がしましたね。生きるためのエネルギーや欲望、憧れ、何かを作り上げたいという情熱。そういうものでギラギラしていました。

菊池:彼らの姿を見ていると、日本人は、欲望が枯渇していると感じます。欲望というと、良くないものみたいに聞えるかもしれないけれど、欲望が枯渇している状態は、生きるエネルギーが減ってきているということですからね。
茂木:人間の脳は、教われば知識や技術はある程度入っていくのですが、生きる情熱はなかなか教えられるものではないんですよ。
菊池:それはそうですね。若いデザイナーに自分が行った行動の理由を話しても、理解はするけど、それで走り始めるかというと走りませんからね(笑)。
茂木:たぶん、今の若い人たちが疾走できないのは、ひとつには従順に勉強し過ぎてるし、与えられ過ぎているってことなんでしょうね。
菊池:そうですね。利口になりすぎるのもよくないのかな。
茂木:ご自身はどうですか。
菊池:ものすごいバカだと思います。学校の勉強は大嫌いでしたね。
茂木:でも、菊池さんはありとあらゆる文化に興味を持っていらっしゃって、結果的には勉強されてますよね。
菊池:そういう勉強はしましたね。ただ、単純に記憶しろとかいう勉強は、好きではなかったです。学校の勉強はしたくない、ということに関しては頑固でした。
茂木:やはり、確固とした自分があるということですね。
菊池:わがままだからかもしれません。でもね、今は世界中のみんなが利口になりすぎていて、自分を解放することができないでいる(←後半最後もあり)から、いい意味でバカになればいいんじゃないかと思いますよ。
後半へつづく…
- 菊池武夫(左)
- 1939年、東京都千代田区生まれ。’64年からオーダーメード服を手がける。海外遊学を経て、’71年にレディースブランド「BIGI」を設立。75年には「MEN’S BIGI」を設立。パリへ進出し、日本人として初めてメンズショップをオープン。日本テレビ『傷だらけの天使』の萩原健一氏の衣装デザインを手がけ、爆発的な人気に。’84年にワールドへ移籍、「TAKEO KIKUCHI」ブランドを発表。03年には同ブランドを信國太志氏に任せ、クリエーティブディレクターを退任。
2005年10月、同世代向けの新ブランド「40CARATS&525(フォーティーカラッツ アンド ゴーニーゴ)」を立ち上げる
- 茂木健一郎(右)
- 脳科学者。1962年10月20日東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。 理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。 2005年、『脳と仮想』で第四回小林秀雄賞を受賞。2009年、『今、ここからすべての場所へ』 で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。著書は『脳とクオリ ア』(日経サイエンス社)、『生きて死ぬ私』(徳間書店)『心を生みだす脳のシステム』(NHK出版)、『「脳」整理法』(ちくま新 書)、『脳を 活かす勉強法』(PHP研究所)など多数。