
茂木:箭内さんの最近の活動としては、やはり福島県人バンド「猪苗代湖ズ」の活動が外せないですが、紅白にも出場されましたよね。
箭内:まさか、自分が紅白に出るとは思わなかったです。僕はもともと緊張しいなので今日も緊張しているんですけど、あの日だけは緊張しなかったですね。体だけ誰かに提供して、その人が勝手に演奏しているような感覚で。まるで、自分じゃないみたいでした。本当は、毎日緊張しているんです。
茂木:生きること自体が緊張、ということですか。
箭内:ええ、緊張ですね。そういえば、(対談のテーマである)疾走と緊張って似ていますね。疾走っていう字は、やまいだれに矢なんで張りつめている感じですよね。
茂木:疾走って前のめりになって走りながらも、倒れない状況ですよね。ある意味で、疾走していること自体が生きていることそのものだと思うんです。僕も疾走するタイプなんですが、全く疲れないんです。箭内さんも、そういうタイプじゃないですか。
箭内:割とそうかもしれません。
茂木:僕、最近考えたんですけど、「本来は休むべき日なのに、働いている」と思うとストレスが溜まる。だけど、疾走している状態を受け入れれば平気なんじゃないかと。
箭内:いや、それは本当にそうですね。生きることと働くことが一致したら、もう止まらない。何やってても、働いていることになるし、生きることにもなってるし、実は遊んでることにもなってる。
茂木:極論、仕事と遊びの区別がつかないという状態が、最高の境地ですよね。箭内さんとこうして会ってしゃべっているのも、仕事といえば仕事だけど、最高に面白い遊びといえば遊びですからね。
箭内:でも、あんまり言い過ぎるとマネージャーに「あぁ、(休まなくても)平気なんだ」って思われちゃうから注意ですね(笑)

茂木:疾走というテーマがなぜ今の時代に合っているのかなと思ったときに、世の中全体が疾走することを基本的なテンポにしているんじゃないかと気づいたんです。僕は、いろんな人に会うときに、彼らのテンポに耳を傾けているんですね。そうすると、その人が走っているかどうかが分かってくるんです。
箭内:その感覚、よく分かりますね。だから、テンポが違う人と一緒にいると違和感を感じ始める。
茂木:だんだんつらくなっていくよね。相手に合わせなきゃならないし、一緒にいる意味も分からなくなってくし。
箭内:そうですね。僕、去年、突如として自分のテンポが変わってきたなと感じた瞬間があって。もともと生き急ぎ型だったんですけど、明日は来ないかもしれないと思うようになって毎日、遺作を作ってる気持ちで仕事してました。福島のことも大きかったかもしれません。でも、そう思い始めた瞬間にどんどんと加速が始まっちゃったんです。
茂木:その瞬間って、どういう瞬間でしたか?
箭内:具体的には、誰かとしゃべっているときに感じたんです。それまでの自分は、毎日が一杯一杯で、目の前に来た球をいかに打ち返すかを考えるだけ。でも、ふと、それって、なんていうか上り坂では決してなくて、平坦な道をただただ走り続けているだけなんじゃないか、という感覚に襲われたんです。そうしたら、「あれ?まだまだ伸びしろがあった!」と気づいてしまって。そこから加速の一方。振り向かずに前に行けている感覚がして、楽しくて気持ちいいけど、少し怖さも感じました。止まらないジェットコースターに乗ってる感じですね。
茂木:(そう感じる理由の)ひとつとして、時代もあると思いますよ。先にも述べたように、世界で動いている情勢を見てもそうですが、疾走することが基本的なテンポになってるわけじゃないですか。それと、箭内さんのような時代と向き合うクリエーターとしては、それ(時代のテンポ)に合わせていないと違う場所に行ってしまうこともあるんじゃないでしょうか。
箭内:そうかもしれないですね。仕事柄、時代を引っ張っていくのは自分の仕事じゃないと思っていて、世の中の流れにどれだけ溺れながら流されて行くかと考えると、時代のテンポというのはすごく感じますね。上半身が先に行っちゃうような走り方で。足はもつれてるんだけど、頭と上半身はどんどん前に行かざるを得ない感覚ですね。
茂木:それ、すごく箭内さんらしい表現でいいですね。思考とか(時代の)流れが速すぎて、手元とか足がもつれてる感じ。日々、朝から晩まで必死に仕事してても全然追いついていない感じがする。
箭内:そう、そうなんです!
茂木:ものすごくやってるのに全然追いついてなくて、でも景色が見えるんです。すごい速さで流れているのが。だけど、そうやって感じて、そのテンポで動いている人って全体の数%なのかもしれないですね。そういう人が時代を引っ張っていく気がします。別に、その人がエリートだ、というわけじゃなくて。意外とゆっくり佇んでいるような人が、このテンポ感を持っていたりするんです。

茂木:箭内さんってロックをやられてるじゃないですか、ロックってなぜか、古びなくて常に時代を疾走している感じのテンポ感がありますよね。
箭内:2009年の暮れ頃ですかね、一時期、ミュージシャンの知り合い達の間で「21世紀がやってきた」っていうフレーズが流行った時がありました。いろいろなことを振り返っているヒマはない、って思った瞬間が21世紀の始まりなんだって言う考え方なんですけど。僕もちょうど、その時期にその感じになったんですよ。
茂木:まさしく、ロックですね。僕、結局、ロックだと思うんです。例えば、Appleしかり、Facebookしかり、Googleしかり。やってることや態度の指標がロックになってるんじゃないかと。
箭内:そうだと、僕も思います。それは、憧れであり、時として脅迫でもあり。ロックかロックじゃないかでものを選んでしまう。ロックって人を背伸びさせるところがあって、僕はもともとそうじゃないだけに、ロックになりたくて。だから背伸びしながら疾走しているという感じですね。
茂木:そう考えると、今の時代、テンポ感がロックな人たちが引っ張っていっているのかな。極端な話、その人がどんなにすごいことが出来るかどうかじゃなくて、テンポ感がロックだったら、それで許せちゃう雰囲気ありますよね。
箭内:人を引き込んでしまうテンポ感、というものですね。茂木さん、そうじゃないですか(笑)
茂木:いやいや、そんなことないですよ(笑)
箭内:ただ、僕、ロックって自分から言ってちゃだめなんじゃないかと思ったことがあって。ちょうど震災後で、そのときに「風とロック」を解散させたんです。以前は、平穏な時代だったからロックって何かを壊せたんじゃないかと思うんです。今この震災のあとにロックが伝えられるメッセージって何があるんだろう、とすごく迷ってしまいました。それで会社名を「すき あいたい ヤバい」にしたんです。
でも、時間が経って感じ始めたのは、ロックって疾走もするし、壊したり、疑ったり、叫んだりもするけど、結局言いたいことは愛なんだなということでした。
茂木:たしかに。愛以外のロックもあるかもしれないけど、最後に残るのは愛しか残らない気がします。愛は、生き物にとっての基本ですからね。
箭内:ただただ走っているだけじゃなくて、何かに愛情を向けたい。その気持がロックなんだと言う考えにたどり着いたら、またロックに戻ってくることができました。震災からは1年かかってしまいました。
茂木:結局のところ、今、世の中で問題になっていることって、すべて愛が足りないからな気がしますね。愛がなかったら、人間は生き延びられない。
後半へつづく…
- 箭内道彦(左)
- クリエイティブディレクター。1964年福島県生まれ。東京芸術大学美術学部デザイン科卒。博報堂に入社後、2003年に独立し「風とロック」を設立。代表作は、大手レコード店の「NO MUSIC,NO LIFE.」シリーズ、東京メトロのCMなど。また、フリーペーパー「月刊 風とロック」の発行人としても活躍するなど、広告からアート、音楽に至るまで、多彩なジャンルで才能を発揮している。
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- 茂木健一郎(右)
- 脳科学者。1962年10月20日東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。 理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。 2005年、『脳と仮想』で第四回小林秀雄賞を受賞。2009年、『今、ここからすべての場所へ』 で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。著書は『脳とクオリ ア』(日経サイエンス社)、『生きて死ぬ私』(徳間書店)『心を生みだす脳のシステム』(NHK出版)、『「脳」整理法』(ちくま新 書)、『脳を 活かす勉強法』(PHP研究所)など多数。
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